ご挨拶

「私の履歴書」
今まで色々な方に出会いお世話になり私という医師が形作られている訳ですが。その中でも特に影響を受けたことをお話しようと思います。

#1 幼少期~大学入学まで・・・目標
【幼少期】
私は和歌山市で生まれ育ちました。幼少期は特に明確な目標もなくテレビやファミコン、マンガが好きな普通の子供でした。

【医者のイメージ像】
私の父親は元々大学病院で働いていたため実際に働く姿を見たことが無く、私の幼少期の医者のイメージとしては「振り返れば奴がいる」の石黒賢のような外科医のイメージを持っていました。

【父親の開業】
私が高校1年生の時に父親が開業しました。実際に父親の診察風景に接する機会が多くなり、テレビのイメージとは違いましたが、患者さんと身近に接する医者の実際の仕事を見ることができ、医者になりたいという私の目標が明確になりました。

【目標の医師像】
私が覚えている父親の医師像は、みんなに「やさしい」です。そんな姿を見ていたので それまでの石黒賢や織田裕二の様なイメージではなく、赤ひげ先生や「Dr.コトー診療所」の吉岡秀隆のような医師像が私の目標になりました。


#2 大学生時代・・・成長
【バスケットボール部】
中学生の時に「スラムダンク」という漫画が流行っており私も流行に乗ってバスケットボール部に入部しました。そんな動機で始めたバスケットボールですが大学生になってからも続けることになります。

【誤算】
医学部の部活動というのは少し特殊で医学部だけで大会が行われます。そのため、私はサークルの様な緩い活動を想像していましたが、待っていたのはゴリゴリの体育会系部活動でした。

【低学年時代・・・上下関係】
今まで上下関係がそこまで煩くない環境で育った私にとってそれは異次元の環境であり低学年の時は厳しく指導されました。

【高学年時代・・・礼儀の大切さ①】
高学年になるにつれてそれが理不尽でもなんでもなく社会人としてのあたりまえの礼儀だということがわかりました。 この大学時代を通じて当たり前の礼儀の大切さを学んだと思います。この経験が無く社会人になっていたと思うと、どんな礼儀知らずが医者になっていたかゾッとします。


#3 研修医~現在・・・恩師
【研修医】
医者になって最初の2年間は、様々な診療科を回り経験値を積んでいくローテーション制度があります。ゲームでいうところのロールプレイングゲームのようなイメージです。

【礼儀の大切さ②】
研修医時代は、大学時代に礼儀を鍛えられていたこともあり、多くの先生にかわいがっていただき様々な経験値を積むことが出来たと思います。その中でもその後ずっとお世話になる恩師との出会いもありました。

【患者ファースト】
医者という職業はだいたい3年くらいたつと勘違いして横柄になっていく人が多いですが、その恩師の先生は、診療の質が高いだけでなく「患者ファースト」を徹底して貫いていました。

【その後】
その恩師がいる「呼吸器内科」に入局し、日々忙しく診療していましたが、元々の目標であるもっと身近に患者さんと接したいという気持ちが強くなり今回開業を決意しました。

【私の考えるクリニック】
この様に色々な方に影響を受けてきましたが、やはり根底の医師像というと父親にあると思います。私の医療理念である「やさしく、親切に」を常に考え患者ファーストでより良いクリニックを作っていきたいと思っています。よろしくお願いします。


「院長はこんな人です」
名前:辻本 直貴(つじもと なおき)
誕生月:1月
血液型:O型
干支:さる年
趣味:映画鑑賞 バイク 軽登山
好きなスポーツ:バスケットボール
好きな食べ物:梨、桃、鍋物、辛い物
嫌いな食べ物:レーズン
最近ちょっと嬉しかったこと:子供がハイハイから歩き始めるまでの成長を見られたこと。

【経歴】
2007年:杏林大学医学部卒業
2007年:~2008年同大学医学部付属病院初期臨床研修医
2009年~2014年:同大学医学部付属病院呼吸器内科入局
2015年:佼成病院呼吸器内科
2016年~2018年:医療法人つるかめ会 新宿海上ビル診療所(現新宿つるかめクリニック)総合内科、呼吸器内科

【資格など】
院長の資格など
日本呼吸器学会専門医
日本アレルギー学会専門医
日本内科学会総合内科専門医
日本感染症学会専門医
日本医師会認定産業医

和歌山駅前つじもと内科・呼吸器内科アレルギー科